なぜベトナム子会社では不正が起きやすいのか
ベトナムに進出した日本企業が現地子会社の運営で直面する課題のうち、もっとも経営を揺るがしかねないのが「内部不正」です。横領、キックバック(リベート)、架空経費、在庫の抜き取り、購買単価の水増しといった不正は、決して特殊な企業だけの話ではなく、ガバナンスが整っていない子会社であればどこでも起こり得ます。日本本社が「現地スタッフは真面目だから大丈夫」と性善説に依存している間に、損失が静かに積み上がっていくのが典型的な構図です。
ベトナム子会社で不正が起きやすい背景には、いくつかの構造的な要因があります。第一に、言語と物理的距離の壁です。会計帳簿や契約書、行政手続きの多くがベトナム語で行われ、日本本社や日本人駐在員がその内容を逐一検証できないため、現地任せの「ブラックボックス」が生まれます。第二に、立ち上げ期の人員不足です。少人数で事業を回すため、一人の経理担当者が出納・記帳・銀行取引・支払承認をすべて握るといった、職務分掌が成立しない状態が常態化しがちです。
第三に、現地の商習慣と不透明な慣行です。サプライヤーからのリベートや、行政手続きを円滑にするための非公式な支出が珍しくない環境では、どこまでが正当な経費でどこからが不正なのかの線引きが曖昧になりやすく、不正の温床になります。これらの要因は個別の人間の倫理観の問題というよりも、「不正をしようと思えばできてしまう」仕組みの欠陥に根ざしています。だからこそ、対策は精神論ではなく、ガバナンス(企業統治)という処方箋で臨む必要があるのです。
ベトナム子会社で頻発する不正のパターン
対策を設計する前に、まず「どのような不正が実際に起きるのか」を具体的に把握しておくことが重要です。ベトナム子会社で典型的に見られる不正は、いくつかのパターンに整理できます。これらを知っておくだけで、どこに牽制を効かせるべきかの当たりがつきます。
もっとも多いのが購買・調達をめぐる不正です。購買担当者が特定のサプライヤーと結託し、市場価格より高い単価で発注して差額の一部をキックバックとして受け取る、あるいは家族や知人が経営する会社を取引先に滑り込ませる「利益相反取引」です。次に多いのが経費・支払いの不正で、架空の業者への支払い、水増しした領収書による精算、実体のないコンサルティング費用やサービス費用の計上などが挙げられます。ベトナムでは正規の赤い印影の領収書(VATインボイス)が制度化されていますが、それでも内容の実在性までは保証されません。
現金・在庫を扱う現場では、売上代金の抜き取り(特に現金商売)、小口現金の使い込み、原材料や製品在庫の横流し、不良品処理に見せかけた抜き取りなどが発生します。人事・労務領域では、退職者を在籍したままにして給与を詐取する「ゴーストワーカー」、水増しした残業代、人材紹介手数料のキックバックなどが典型です。さらに経営幹部レベルでは、二重帳簿による売上の簿外化、関連当事者取引を通じた利益の流出といった、より発見の難しい不正も起こり得ます。これらのパターンは単独ではなく、複数が連動して発生することも少なくありません。
不正の温床となる「ガバナンスの空白」
不正が発生する子会社には共通点があります。それは「ガバナンスの空白」が存在することです。不正は、動機(プレッシャー)・機会・正当化という三つの要素が揃ったときに起こるとされますが(不正のトライアングル)、企業がコントロールできるのは主に「機会」です。機会を与えない仕組みこそがガバナンスであり、その空白を埋めることが処方箋の核心になります。
典型的な空白の一つが、権限の一極集中です。立ち上げ期に絶大な信頼を寄せた現地法人代表や経理責任者に、契約締結権・銀行口座の管理・支払承認・人事権までが集中していると、その人物を誰も牽制できません。とりわけ、ベトナムでは法人の代表者印や銀行取引、税務申告に関わる権限が実務上きわめて強く、これを一人に委ねることは構造的なリスクを抱え込むことを意味します。
もう一つの空白が、本社による実効的なモニタリングの欠如です。月次で送られてくる財務数値を眺めるだけで、その背後にある証憑や取引実態を検証する仕組みがなければ、数字はいくらでも作れます。さらに、内部監査の不在、通報制度(ホットライン)の欠如、現地スタッフの相互牽制が働かない閉鎖的な組織風土も空白を広げます。これらの空白は、事業が軌道に乗り規模が拡大するほど損失額を大きくします。ガバナンス整備を「コスト」ではなく「保険」と捉え、進出初期から織り込んでおくことが肝要です。
処方箋1:職務分掌と内部牽制を設計する
不正防止の最も基本かつ強力な処方箋が、職務分掌(職務の分離)です。これは「一人の人間が取引の最初から最後までを単独で完結できないようにする」という原則で、内部統制の根幹をなします。具体的には、(1)取引を承認する人、(2)資産(現金・在庫)を管理する人、(3)帳簿に記録する人、(4)実際に照合・検証する人を、それぞれ別の担当者に分けます。
ベトナム子会社では人員が限られるため「分けたくても分けられない」という事情がよく聞かれますが、ここで妥協すると不正のドアを開けたままにすることになります。完全な分離が難しい場合でも、最低限「お金を動かす権限」と「帳簿をつける権限」だけは必ず分離すべきです。たとえば、経理担当者が記帳を行う一方で、銀行送金の最終承認は日本人駐在員または本社が握る、現金の出納と記録を別人にする、といった形で牽制を効かせます。
加えて、支払承認に金額基準を設けた多段階承認(たとえば一定額以上は本社承認を必須とする)、新規サプライヤー登録時の審査と承認権限の分離、銀行口座のオンライン承認権限を複数名に分けるデュアルオーソリゼーションの導入が有効です。承認の電子化により、誰がいつ何を承認したかのログを残すことも牽制力を高めます。職務分掌は一度設計して終わりではなく、人員の増減や組織変更のたびに見直し、権限が再び一極集中していないかを定期的に点検することが欠かせません。
処方箋2:現金・購買・在庫の管理を締める
不正が現実に発生する「現場」は、現金・購買・在庫の三領域に集中します。ここに具体的な統制を効かせることが、被害を未然に防ぐ実務上の要諦です。
現金管理では、現金取引を可能な限り銀行振込に切り替え、現金の保有額に上限を設けます。小口現金は定額前渡し制(インプレストシステム)で管理し、残高と証憑を定期的に照合します。売上が現金中心の業態では、POSや日次の売上報告と入金額を毎日突き合わせ、差異を必ず追跡する運用を徹底します。購買・調達では、見積もりを複数社から取得する相見積もりの義務化、サプライヤーの実在性確認(住所訪問・登記確認)、発注書・検収書・請求書の三点照合(スリーウェイマッチング)を導入し、購買担当者と検収担当者を分離します。長期間同一のサプライヤーに固定化していないか、単価が市場とかい離していないかの定点観測も有効です。
在庫管理では、定期的な実地棚卸を経理担当以外の人員も交えて実施し、帳簿在庫との差異を分析します。原材料の歩留まりや不良率に不自然な変動がないかをモニタリングし、廃棄処理には承認と記録を求めます。これらの統制に加えて、利益相反の防止策として、従業員・幹部に対し取引先との縁故関係や副業の申告を義務づけ、誓約書を取得しておくこともベトナムでは現実的に効果があります。重要なのは、これらのルールを文書化し、現地語で全スタッフに周知し、運用を記録として残すことです。ルールは存在するだけでは機能せず、運用と検証があって初めて牽制力を持ちます。
処方箋3:会計の透明性とキックバックの兆候
財務報告の透明性を確保することは、不正の早期発見に直結します。本社が現地の会計を「見える化」できていなければ、どれほど立派な規程を作っても絵に描いた餅です。まず、現地の会計帳簿(ベトナム会計基準=VASに基づく帳簿)と本社報告用の数値の整合性を担保し、月次決算を一定の期日までに締める規律を確立します。総勘定元帳レベルで取引の明細を本社が閲覧できる体制、主要な仕訳の証憑をサンプリングで確認できる仕組みが望まれます。
キックバックや架空取引には、数字に表れる兆候があります。たとえば、特定のサプライヤーへの発注が合理的な理由なく集中している、調達単価が継続的に上昇している、コンサルティング費用やサービス費用など実体の確認が難しい無形の支出が増えている、特定の従業員が承認した取引で利益率が不自然に低い、といった点です。月次で粗利率・経費率・サプライヤー別取引額の推移を分析し、異常値(アノマリー)を検知したら深掘りする「分析的手続き」を習慣化することで、不正の芽を早期に摘めます。
ベトナム特有の論点として、VATインボイス(赤い領収書)の取り扱いがあります。正規のインボイスであっても、取引そのものが架空であったり、第三者から購入した「インボイスの売買」が紛れ込んでいたりするケースが報告されています。インボイスの形式が整っていることと、取引が実在することは別問題だと認識し、金額の大きい支出や新規取引先については実体確認を怠らないことが肝心です。会計の透明性は、本社と現地の信頼関係の土台でもあります。
処方箋4:内部監査とモニタリング体制を構築する
職務分掌や現場統制が「予防」の仕組みだとすれば、内部監査とモニタリングは「発見」の仕組みです。両輪が揃って初めてガバナンスは完成します。規模の小さい子会社では専任の内部監査人を置くことは難しいため、本社の管理部門による定期的なレビュー、外部の会計事務所や専門家による内部統制レビュー、グループ内部監査部門による往査などを組み合わせて補完します。
モニタリングの実務では、リスクの高い領域に的を絞ることが重要です。現金・購買・在庫・人件費といった不正が起きやすい領域を重点対象とし、抜き打ちの現金実査、サプライヤーへの確認状送付、銀行残高証明と帳簿の照合、給与支払名簿と社会保険加入者リストの突合(ゴーストワーカーの検出)などを定期的に実施します。データ分析を活用し、重複支払い、休日や深夜の取引、しきい値ぎりぎりの分割発注といった不正の兆候を機械的に拾い上げる手法も有効です。
あわせて、不正を「言い出せる」仕組みとして、内部通報制度(ホットライン)の整備が極めて重要です。ベトナムでは現場の従業員が不正に気づいていても、人間関係や報復への恐れから声を上げにくい風土があります。匿名性を保証し、ベトナム語で通報でき、通報内容が現地経営陣を経由せず本社や独立した窓口に直接届く設計にすることで、内部からの早期警報が機能します。通報者を保護する明確な方針を示すことも、制度を形骸化させないために不可欠です。
処方箋5:本社の関与と「人」のガバナンス
仕組みをどれだけ整えても、それを運用するのは人です。最終的なガバナンスの実効性は、本社がどれだけ現地に関与し続けるか、そして「人」のマネジメントをどう設計するかにかかっています。よくある失敗が、信頼する現地代表者に「丸投げ」してしまうことです。権限委譲と放任はまったく別物であり、委譲した権限には必ずモニタリングと報告のセットを伴わせる必要があります。
人事面では、採用時のバックグラウンドチェック(前職照会・反社・縁故の確認)、重要ポジションへの定期的なジョブローテーション、連続休暇の取得促進が不正抑止に効きます。担当者を固定し続けると癒着や属人化が進むため、特に経理・購買・出納といった枢要ポストでは意図的に人を動かすことが牽制になります。長期間にわたり一度も休まない担当者がいる場合、その裏で不正が継続している可能性を疑うべきだ、というのは内部統制の古典的な教訓です。
加えて、行動規範(コード・オブ・コンダクト)を策定し、贈収賄・利益相反・キックバックを明確に禁止し、違反時の処分方針まで含めて現地語で全従業員に周知・誓約させます。経営トップ自らが不正を許さない姿勢を示す「トップの誠実性(トーン・アット・ザ・トップ)」が、ルール以上に組織風土を左右します。日本本社・日本人駐在員・現地マネジメントが役割を分担し、相互に牽制し合いながら、健全な緊張感のあるガバナンス体制を継続的に維持していくことが、ベトナム子会社の不正を防ぐ最良の処方箋です。
不正が発覚したときの初動と再発防止
予防策を尽くしても、不正が完全にゼロになる保証はありません。だからこそ、発覚時の初動を平時から想定しておくことが、被害を最小化し再発を断つうえで決定的に重要です。不正の兆候や通報を把握した際、最もやってはいけないのが、感情的に当事者を問い詰めたり、その場で解雇を通告したりすることです。証拠が隠滅され、後の法的手続きや回収が困難になるばかりか、ベトナムの労働法に照らして不当解雇と判断され、逆に会社側が賠償責任を負うリスクすらあります。
正しい初動は、まず証拠の保全です。関連する帳簿・証憑・メール・システムログ・銀行記録などを、当事者に気づかれない形で確保します。そのうえで、本社・現地の法務、外部の弁護士や不正調査の専門家(フォレンジック)と連携し、事実関係を客観的に確定させる調査計画を立てます。当事者へのヒアリングは、証拠を固めた後に、複数名の立ち会いと記録のもとで慎重に行います。被害額の算定、回収可能性の検討、ベトナム労働法・刑事手続きに沿った懲戒・解雇・告訴の判断は、必ず専門家の助言を得ながら進めるべきです。
そして、事案の収束後に最も重要なのが再発防止です。なぜその不正が可能だったのか、どのガバナンスの空白を突かれたのかを徹底的に分析し、職務分掌・承認フロー・モニタリングの穴を具体的に塞ぎます。一件の不正は、同種のリスクが他にも潜在していることを示すサインです。発覚を「個人の問題」で片づけず、仕組みの問題として捉え直し、ガバナンス全体をアップデートする契機とすることが、強い子会社経営への転換点になります。



